このページでは、ビールス症候群(側弯症-そくわん症-)の娘と私のことをお伝えしたいと思います。
同じ症状で悩んでいる人に、少しでも参考になればうれしいです。
妊娠中(6ヶ月)に産院の先生にお腹の子に気になることがあると紹介状を渡され市立病院で検査を受けた。
市立病院の産婦人科では何も問題ないと言われ元の産院に戻り逆子のため予定通り帝王切開で出産。
お腹から出した時、先生と助産師さんの反応や会話が聞こえやっぱり何かあったんだなーと感じた。
4日目には身体が動くようになり初めて我が子を抱いた。 我が子は手脚が長くて指も長いな…。 しかも手が開かないんだな…って気付いた。 退院時、先生から説明を受け紹介状を渡され生後10日の娘を連れて市立病院に行った。
その日から小児科に通うようになった。 小児科医の先生からの説明で長身で手脚が長く細身、指が長いという遺伝子疾患があることを知った。
眼科では水晶体の検査。 生後半月で心臓の検査。 嬉しいことに全て異常なし。
その後の小児科医の説明で疑っていた遺伝子疾患の類似疾患の可能性があり、おそらくそっちだろうということがわかった。
非常に珍しく症例も少なくて静岡こども病院の遺伝染色体科に専門の先生がいるからと紹介状を送ってもらった。
生後2ヶ月、こども病院で専門医に診てもらい市立病院の小児科医の説明通り、 ビールス症候群という遺伝子疾患だったことが判明。
日本でも珍しく、静岡こども病院では3例目だった。 生まれつき関節が硬く伸びない。 だから指も開かないし肘も膝股関節も伸びない(開かない)んだってわかった。
そこからは毎日自己流の伸び伸び体操を開始。 小児科医には骨折が怖いからやめてくださいって言われたけど、骨が柔らかいうちになんとかしたかったし自分の子だから折れたら折れたで病院連れてくからいい。 そんな考えで毎日関節を伸ばし続けた。
生後半年になると、保健師さんの紹介で障がい児の会に参加。 毎月通うことになった。 そこでたくさんのママさんと知り合った。
翌月には病院の小児科医の紹介でリハビリ施設に通えることになった。 11ヶ月にはお座りをマスター。 それからはこども病院の整形外科にも通うようになり、1番の問題の背骨(側湾症)の治療を開始。
背骨が側弯してることで姿勢や内臓に影響が出ることから曲がりを進行させないためにコルセットを作ることになった。
コルセットを付け始め案外すぐに慣れてくれた。
ある時、こども病院の遺伝染色体科の先生に 娘以外のビールス症候群の子はどんな感じか聞いてみた。 症例がないからデータも少ないけど 歩けたとしても杖を使うか、最悪車椅子です。 と言われた。
それを聞いても意外と凹まず、 数少ないデータの中でも私が奇跡を起こせば良いんだと思った。 私にはその奇跡を起こせる気がしたし、何故か自信があった。
障がいや持病があるからって過保護になったり甘やかしたりしたら子供がそれを理由に自分に甘くなる。 障がいや持病を逃げに使ってほしくはない。
芯の強い子に育てなくちゃと思った。 周りのママさん達にはスパルタ子育てと言われるけど、娘が真っ直ぐと育ち自立してくれること。 それを目標にしていたから何を言われても気にしなかった。
娘もリハビリを頑張ってくれて1歳5ヶ月で初めて立った。 1歳10ヶ月で10歩あるけた。 2歳になり、市の障がい児の幼稚園に通えるようになった。
週1で午前中だけだけど、椅子に座って歌ったりみんなで遊んだり。 歩いているお友達もたくさんいて良い刺激になり、そこからはグングン歩行数が増えた。
幼稚園の同じクラスの1人のママさんが 『同じ疾患のお友達もいないし1人で悩むのも辛いだろうから、もしよかったら私たちの会に入らない?』 と声をかけてくれた。
その会というのは静岡ダウン症児の会だけど、こども病院、リハビリ、すこやか教室、幼稚園で一緒のお友達もいっぱい。 お言葉に甘え、喜んで入会し仲間として迎えいれてもらった。
春になり、そろそろ幼稚園探しを始めようと思った。
できれば同じ年齢の子と一緒の幼稚園にと、考えてたらタイミング良く、GW前にママ友からメールがきた。 そのママ友の子供はダウン症なんだけど春から幼稚園に入園した。 市内の幼稚園ほとんど断られたんだけど、 1つの園だけは快く受け入れてくれたらしい。 しかも年長さんに娘と同じ肢体不自由児がいると教えてくれた。
「 とにかくとても素敵な園なの! 行けばわかるから自分の目で確かめてきて!!」
ママ友に言われ調べてみると 翌日がたまたま幼稚園の体験の日だったから行ってみた。 変な歩き方をする娘を見ても誰1人イヤな目で見てこない。
幼稚園の先生たちも理解があり、笑顔で受け入れてくれた。
その後、園長室に案内され園長先生と面談させてもらった。
「娘さんが産まれてからのお話を聞かせてください。」
園長先生に娘が生まれてから今日までのお話をした。 園長先生は真剣に聞いてくれた。
「わかりました。では4月からお待ちしていますね!」
突然の言葉に私は頭が真っ白。
良いんですか? うちの子、まだしっかり歩けませんよ? 階段も登れません!
「何がおかしいんですか? 私には普通の子にしか見えませんよ?」
奇跡の扉が開きました。 この幼稚園は健常児と障がい児をともに育てる統合教育の幼稚園だった。 喜んで受け入れますよと言われ実際子供を連れて行ったら入園を断られる市の中でこんな幼稚園があったなんて嬉しくて園長先生と話しながら私は号泣してた。
しかもリハビリやこども病院の日は気にせず休んでくださいって言ってくれた。
帰宅後、教えてくれたママ友に連絡して入園を決めた意思を伝えたら
『本当に、そこで良いのか第一希望の幼稚園も見てその園の対応も見てみた方がいいよ』
って言われたから元々の第一希望の幼稚園にも見学に行ってきた。 先生と話してみると、障がい児は受け入れたことがない…と気弱な発言。
これだけ歩けるなら…とは言うけどYesとは言わない微妙な回答。
その間、娘は園児たちに囲まれ遊んでたんだけど先生との話を終わらせ迎えに行ったら園児たちからの質問攻撃にあった。
『なんでこの子はこんなに細いの?』
(私)まだ2歳だからだよー。
『なんでこんなに指が長いの?』
(私)細いから目立つだけだよー。
『お腹になに付けてるの?』
(私)装具をつけたらピシッとするのよー。
『どうして変な歩き方してるの?』
(私)歩くのが下手っぴなのよー。
『2歳なのにどうしてこんなに背が高いの?』
(私)人それぞれ大きさは違うのよー。
健常児の中にいるとここまで言われるなんて…悲しくて凹みまくって泣きながら車を運転して帰った。 帰宅後も胃が痛くて夕飯も食べれないほど落ち込んでしまった。
しょうえい幼稚園にしよう! 絶対ここに通う!! そう決めました。
翌週、またしょうえい幼稚園の体験に行ってきた。 終わった後、園児たちと園庭で遊んできた。 優しいお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが娘と遊んでくれた。
誰1人娘の身体について質問してくる子がいなかった。 傷つく言葉一つ言われなかった。 すごく嬉しかった。 嬉しすぎて涙が出た。
9月に説明会に行って10月には願書を出して、来年の4月に入園します。 娘と離れるのは寂しいけど、
強くたくましく育ってもらうために頑張ってもらいたい。
写真は、ダウン症の書道家金澤翔子ちゃんのお母さんの講演会に行ったとき撮った。 歩けても走れないと言われていた娘が翔子ちゃんのお母さんの横を元気良く走ってるナイスなショットです。 これは昔、某SNSに書いた私の日記です。 月日が経ち、娘は中学生になりました。
今ですか!? 静岡県東部で福祉の1番進んでる町、三島に引っ越して地域の普通級に通ってます。1歳から続いた側彎症の治療を2020年に終えました。今は元気に走り回っています。
アメブロでは詳しく私たちのことを綴っています。
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